
医療法人川島会は初代理事長である父・川島有秊が昭和6年に川島医院を開院したのが端緒であります。私は平成11年12月から令和元年3月まで二代目理事長を務め、同年4月に水口潤理事長と交代いたしました。
川島病院で透析治療を開始したのが昭和51年1月19日でしたので、あれから50年以上も経ったのかと思うと、本当に感無量であります。
また、今から40年前の1985年8月12日、日航機が墜落したその日に川島病院は佐古の旧病院から北佐古一番町の旧1号館に引っ越しました。ちょうどその時期に水口理事長も川島病院に入職し、そこから新たな大きな展開が始まりました。その間、数多くの職員の皆様のご協力によりここまで発展できたことは本当にありがたく、厚く感謝申し上げております。
さて、これからの日本では医療のみならず多くの分野で厳しい環境に直面する時代になっていくと思います。最大の課題は人口減少であります。
医療界で例えてみますと、患者数の減少ということになりますので、深刻な問題であります。
さらに近年、多くの日本の法人は人件費率を抑制し、内部留保を高めることを第一義的に考えてきました。その結果、日本経済は飛躍的に発展しましたが、皮肉なことに若年層の収入低下を招き、少子化・人口減少という深刻な結果をもたらすことになりました。この現象は日本だけでなく、中国も同様の傾向を示しておりますので、人口の回復を目指すならば諸外国に依存しない自前での人口の確保が最重要課題になると予想されます。
川島会では、2000年より職員の福利厚生施設の一環として「あすか保育園」を運営してきましたが、2025年度より全国の保育園がほぼ無償化されることとなり、少子化対策に一定の効果があると期待されております。
一方、私は産業界の皆さまの支援をする分野で新たな役職に就き、お世話になることになりました。しかしながら、医師としての初心を忘れずに今後も僻地医療には関わりたいと思っておりますので、よろしくお願いいたします。
川島ホスピタルグループ 会長 川島 周